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2012.02/22(Wed)

牛乳キャンペーンの謎(2)

現在流通している牛乳の約80%は妊娠牛から搾乳されている。これは結構ショッキングな事実です。
哺乳類はもともと授乳中は妊娠しない、というのが自然界の掟になっているからです。人為淘汰によって「改良」された現在の乳牛は、人間のために(?)奉仕するべく過酷な生活を送っているのかもしれません。この「改良」は酪農業界にとっては「善」ですし、低価格で牛乳を消費したい人々にとっても喜ばしいことなのかもしれません。

しかし、妊娠牛からの乳であることで、女性ホルモンがより多量に含まれているようです。人体に悪影響はないのだろうか?思春期前のこどもには特に影響が出るかもしれない。全然問題ないという論文も出されているし、問題大いにあり、という論文もある。

いずれにせよ、重大な問題を抱えていることだけは確かだ。それを、それがないかのごとくに牛乳消費拡大を進めてきた農水省とか文科省は酪農業界とつるんでいるとしか考えられない。

さて、「都道府県別統計とランキングで見る県民性」から抜粋した都道府県別の牛乳消費量は下表のとおりだ。決定係数0.14以上のものだけを載せた。

これをみる限り、牛乳消費量の多い都道府県ほど子宮癌死亡者数が少ない、という関係がある。もちろん、両者に因果関係があるということではない。この統計でみる限り、牛乳消費量が高い都道府県ほど婦人関連の癌が多発するというようなことは読み取れない、ということだ。

一方、面白いと感じたことは、牛乳消費量の高い都道府県ほど、金銭的に裕福で、「近代化」がより進んでいる地域のようだ、という点だ。

したがって、牛乳の人体へ及ぼす効果を疫学的に研究する場合、こうしたライフスタイル(生活レベル)を交絡因子として算入させないと真実に近づけないのではないか、という気がするのだ。例えば、仮に癌発症確率が同じだとしても、生活レベルが高いほど発見確率も高いだろうし、治療レベルも高くなるだろうから、この点を考慮しなければ仮に牛乳にリスク(全死亡因)があるとしても、そのリスクを低く見積もってしまうことになるのだ。
牛乳消費量 [ 2009①埼玉 ]
項目 相関係数
(r)
決定係数
(r2)

項目 相関係数
(r)
決定係数
(r2)
パソコン普及率 [ 2009①奈良 ] 0.67 0.45 白血病死亡者数 [ 2009①鹿児島 ] -0.57 0.33
1世帯あたり貯蓄額 [ 2008①奈良 ] 0.62 0.38 父子・母子家庭率 [ 2005①沖縄 ] -0.56 0.32
電動ミシン普及率 [ 2009①奈良 ] 0.58 0.34 パチスロ台数 [ 2007①大分 ] -0.56 0.31
バター消費量 [ 2009①北海道 ] 0.58 0.33 戦後海外移住者数 [ 1994①沖縄 ] -0.54 0.30
雑誌・書籍購入費 [ 2008①埼玉 ] 0.55 0.30 自殺者数:男性 [ 2006①秋田 ] -0.54 0.29
ウォシュレット普及率 [ 2009①富山 ] 0.53 0.28 子宮ガン死亡者数 [ 2010①佐賀 ] -0.54 0.29
携帯電話普及率 [ 2009①石川 ] 0.52 0.28 小学生・スポーツ活動率 [ 2006①熊本 ] -0.52 0.27
自転車保有台数 [ 2008①埼玉 ] 0.50 0.25 男性肥満率 [ 2010①沖縄 ] -0.46 0.21
ビデオカメラ普及率 [ 2009①東京都 ] 0.49 0.24 ビール消費量 [ 2008①高知 ] -0.38 0.15
チーズ消費量 [ 2009①埼玉 ] 0.49 0.24 女子小中学生肥満率 [ 2010①青森 ] -0.39 0.15
日経新聞販売部数 [ 2010①東京都 ] 0.49 0.24 100歳以上高齢者:女性 [ 2009①沖縄 ] -0.37 0.14
通勤時間 [ 2006①千葉 ] 0.48 0.23 100歳以上高齢者:男女 [ 2009①沖縄 ] -0.38 0.14
テニス教室 [ 2010①徳島 ] 0.47 0.23
最低賃金 [ 2009①東京都 ] 0.44 0.20
海外旅行者数 [ 2008①東京都 ] 0.44 0.19
教育費 [ 2008①埼玉 ] 0.43 0.18
平均寿命:男性 [ 2005①長野 ] 0.43 0.18
朝日新聞販売部数 [ 2010①山口 ] 0.42 0.17
コーヒー消費量 [ 2009①奈良 ] 0.41 0.17
県民所得 [ 2006①東京都 ] 0.40 0.16
紅茶消費量 [ 2009①栃木 ] 0.39 0.15
ゴルフ用具普及率 [ 2009①山梨 ] 0.39 0.15
パスタ・スパゲッティ消費量 [ 2008①埼玉 ] 0.38 0.15

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テーマ : 健康食品 サプリメント - ジャンル : ヘルス・ダイエット

15:32  |  牛乳と酪農  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/17(Fri)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(8)

昨日と同じように(ジャパニーズパラドックス(7)、「都道府県別統計とランキングで見る県民性」から喫煙リスクに関する未知の交絡因子(シリーズ(1))を探ってみたいと思います。

今回はよりコンパクトな表にまとめました。主として食品に注目し、そのうち決定係数0.14以上のもののみを記載しました。
このまとめからすると、癌死亡リスクについて喫煙に関する交絡因子となりうるのは黄色のマーカーで示した三つ、睡眠時間、食塩消費量、インスタントラーメン消費量になります。

ただし、癌死亡者数は高齢者数と非常に強く相関し、決定率は80%以上です。
癌が基本的に高齢者の病気であることから、これは当然といえば当然のことですが、その他の因子に比べ圧倒的な決定率を示していることは、禁煙キャンペーンに限らずさまざまな危険因子を問題にするとき、看過されやすい点ではないでしょうか。

意外だったのは「睡眠時間」です。これは、おそらく睡眠時間そのものではなく生活スタイル全般を代表している一つの指標なのかもしれません。下の表にも明らかですが、癌死亡者数の多い都府県ほど金銭的には貧しい、というイメージが浮かび上がっています(県民所得、最低賃金などの項目をみてください)。

念のために申し添えますが、私はここで断定的なことを述べようとしているのではなく、例えば喫煙リスクについて未知の交絡因子の存在を頭から否定したような疫学研究は危険ではないか、という警鐘を鳴らす意味で、いろいろなデータを紹介しているつもりなのです。

先日、牛乳キャンペーの謎シリーズを始めましたが、「都道府県別統計とランキングで見る県民性」のデータをみると面白い事情が(つまり、私が思ってもみなかった事情)が浮かび上がってきました。次回に紹介したいと思います。
ガン死亡者数:男性 [ 2006年第一位 秋田県 ]
喫煙率:男性 [ 2007年第一位 青森県 ]
項目 相関係数
(r)
決定係数
(r2)

項目 相関係数
(r)
決定係数
(r2)
高齢者数 [ 2009年第一位 島根県 ] 0.91 0.83
サケ消費量 [ 2009年第一位 青森県 ] 0.56 0.31
睡眠時間 [ 2006年第一位 山形県 ] 0.59 0.35
炭酸飲料消費量 [ 2009年第一位 青森県 ] 0.56 0.31
しょう油消費量 [ 2008年第一位 山形県 ] 0.56 0.32
サンマ消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.55 0.30
砂糖消費量 [ 2008年第一位 長野県 ] 0.51 0.26
納豆消費量 [ 2008年第一位 福島県 ] 0.53 0.28
サバ消費量 [ 2008年第一位 島根県 ] 0.50 0.25
インスタントラーメン消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.50 0.25
食塩消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.50 0.25
豚肉消費量 [ 2008年第一位 秋田県 ] 0.45 0.20
アジ消費量 [ 2008年第一位 長崎県 ] 0.47 0.22
食塩消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.45 0.20
酢消費量 [ 2008年第一位 鹿児島県 ] 0.47 0.22
カレールウ消費量 [ 2008年第一位 佐賀県 ] 0.39 0.16
老衰死亡者数:男性 [ 2006年第一位 長野県 ] 0.46 0.22
睡眠時間 [ 2006年第一位 山形県 ] 0.37 0.14
イカ消費量 [ 2008年第一位 島根県 ] 0.45 0.21
味噌消費量 [ 2008年第一位 長野県 ] 0.37 0.14
日本酒消費量 [ 2008年第一位 新潟県 ] 0.43 0.19
労働時間 [ 2006年第一位 福井県 ] 0.37 0.14
インスタントラーメン消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.39 0.15
平均寿命:男性 [ 2005年第一位 長野県 ] -0.40 0.16
現役医師数 [ 2006年第一位 京都府 ] 0.34 0.12
イワシ消費量 [ 2008年第一位 鳥取県 ] -0.41 0.17
人口密度 [ 2005年第一位 東京都 ] -0.42 0.18
牛肉消費量 [ 2008年第一位 和歌山県 ] -0.45 0.21
マグロ消費量 [ 2008年第一位 静岡県 ] -0.42 0.18
パン消費量 [ 2008年第一位 京都府 ] -0.46 0.21
チーズ消費量 [ 2009年第一位 埼玉県 ] -0.47 0.22



ミネラルウォーター消費量 [ 2009年第一位 沖縄県 ] -0.49 0.24



紅茶消費量 [ 2009年第一位 栃木県 ] -0.50 0.25



県民所得 [ 2006年第一位 東京都 ] -0.50 0.25



通勤時間 [ 2006年第一位 千葉県 ] -0.57 0.32



最低賃金 [ 2009年第一位 東京都 ] -0.60 0.37



平均寿命:男性 [ 2005年第一位 長野県 ] -0.61 0.38





テーマ : 科学・医療・心理 - ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 喫煙 発癌リスク 交絡因子

12:13  |  喫煙  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/16(Thu)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(7)

疫学研究の方法論上における基本的な欠陥の一つは、危険因子候補に連動する未知の交絡因子(シリーズ(1))の存在でしょう。
この日本パラドックスシリーズの(1)(6)で紹介したように、Eysenckとその同僚は半世紀も前にパーソナリティをリスク因子としてとらえ、喫煙リスクを評価するためには交絡因子としてパーソナリティを参入させなくてはいけないことを実証しました。

また、60年前後に開始された7か国研究が示すように(シリーズ(5))、日本では喫煙によるリスクが認められない(ジャパニーズパラドックス)という不思議が有名でした。これには、肉や酪農製品を摂らないといった日本的な食事が関係しているのかな、という予想が十分に立ちます。

喫煙リスクと連動する交絡因子を探るため、今回は面白いサイト「都道府県別統計とランキングで見る県民性」から一覧表を抜き出し、下の表にまとめてみました。

この相関関係では、二つの因子の間だけ(例えば喫煙率対肺がん死亡率)の単純な関係を求めています。全く相関関係がなければ相関係数は0、100%の正の相関で+1、負の相関で-1です。その右隣の決定係数は相関係数の二乗で、例えば喫煙率の31%はサケ消費量で説明できる、と考えます。それぞれの項目をクリックすると、上記サイトに飛び、その項目の都道府県別の分布が地図上に表記されるとともに、その項目と相関関係の高い項目も表示されます;優れもののサイトです、感謝しています。

注目される一点は、喫煙率と癌死亡数、心臓病死亡数、脳梗塞死亡数などは、少なくとも県どうしを比較する限りにおいてはほとんど関係ない、ということです。脳梗塞では若干の関係が認められますが、決定率は8%にすぎません。

意外な交絡因子として考えられるのは、医師の数です。喫煙率の高い府県ほど医師数は少ない。疫学研究で喫煙リスクが高くなる原因の一つ(交絡因子)として、医師による診療、治療が受けにくい事情が考えられる。面白いですね。盲点でしょうか?(ちょっと楽観的過ぎました。上記サイトで調べてみると癌死亡数対現役医師数の相関係数は+0.34でした。)

一方、喫煙率が高いほど、食塩や味噌、カレーの消費量が高く、また労働時間も長い。こうした因子を交絡因子として算入すれば喫煙リスクは消失する可能性が十分にありますね。

また、喫煙率が高いほど、緑茶の消費量やスポーツ活動率が低い。これも是非とも交絡因子として研究してほしいところです。

喫煙率:男性 [ 2007年第一位 青森県 ]
記事 相関係数(r) 決定係数
(r2)
サケ消費量 [ 2009年第一位 青森県 ] 0.56 0.31
炭酸飲料消費量 [ 2009年第一位 青森県 ] 0.56 0.31
サンマ消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.55 0.30
納豆消費量 [ 2008年第一位 福島県 ] 0.53 0.28
ラーメン店舗数 [ 2009年第一位 山形県 ] 0.50 0.25
年間雪日数 [ 2010年第一位 北海道 ] 0.50 0.25
インスタントラーメン消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.50 0.25
年間降雪量 [ 2011年第一位 青森県 ] 0.49 0.24
豚肉消費量 [ 2008年第一位 秋田県 ] 0.45 0.20
食塩消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.45 0.20
火災死亡者数 [ 2007年第一位 青森県 ] 0.40 0.16
カレールウ消費量 [ 2008年第一位 佐賀県 ] 0.39 0.16
睡眠時間 [ 2006年第一位 山形県 ] 0.37 0.14
味噌消費量 [ 2008年第一位 長野県 ] 0.37 0.14
労働時間 [ 2006年第一位 福井県 ] 0.37 0.14
アイスクリーム・シャーベット消費量 [ 2008年第一位 石川県 ] 0.32 0.10
すし店店舗数 [ 2006年第一位 山梨県 ] 0.31 0.09
自動車普及率(2台以上) [ 2009年第一位 長野県 ] 0.30 0.09
果物消費量 [ 2008年第一位 青森県 ] 0.30 0.09
自殺者数:男性 [ 2006年第一位 秋田県 ] 0.29 0.09
大腸ガン死亡者数:男性 [ 2006年第一位 秋田県 ] 0.29 0.09
日本酒消費量 [ 2008年第一位 新潟県 ] 0.29 0.08
脳梗塞死亡者数:男性 [ 2006年第一位 秋田県 ] 0.28 0.08
イカ消費量 [ 2008年第一位 島根県 ] 0.27 0.08
自動車登録台数 [ 2008年第一位 長野県 ] 0.27 0.07
胃ガン死亡者数:男性 [ 2006年第一位 秋田県 ] 0.23 0.05
大腸ガン死亡者数:女性 [ 2006年第一位 島根県 ] 0.23 0.05
交通事故死亡者数 [ 2007年第一位 香川県 ] 0.23 0.05
マグロ消費量 [ 2008年第一位 静岡県 ] 0.20 0.04
チーズ消費量 [ 2009年第一位 埼玉県 ] 0.19 0.04
狭心症・心筋梗塞死亡者数:男性 [ 2006年第一位 和歌山県 ] 0.18 0.03
前立腺ガン死亡者数 [ 2010年第一位 長野県 ] 0.17 0.03
食用油消費量 [ 2008年第一位 福島県 ] 0.15 0.02
教職員数 [ 2009年第一位 島根県 ] 0.11 0.01
ガン死亡者数:男性 [ 2006年第一位 秋田県 ] 0.09 0.01
2005年完全失業率 [ 2005年第一位 沖縄県 ] 0.08 0.01
薬局数 [ 2008年第一位 佐賀県 ] 0.08 0.01
しょう油消費量 [ 2008年第一位 山形県 ] 0.08 0.01
バター消費量 [ 2009年第一位 北海道 ] 0.05 0.00
カツオ消費量 [ 2008年第一位 高知県 ] 0.04 0.00
チョコレート消費量 [ 2008年第一位 石川県 ] 0.04 0.00
うどん・そば消費量 [ 2008年第一位 香川県 ] 0.04 0.00
肺ガン死亡者数:男性 [ 2006年第一位 和歌山県 ] 0.03 0.00
老衰死亡者数:男性 [ 2006年第一位 長野県 ] 0.02 0.00
狭心症・心筋梗塞死亡者数:女性 [ 2006年第一位 栃木県 ] 0.02 0.00
温室効果ガス排出量 [ 2007年第一位 山口県 ] 0.00 0.00
性犯罪認知件数 [ 2010年第一位 大阪府 ] -0.03 0.00
歯科医師数 [ 2006年第一位 東京都 ] -0.03 0.00
ビール消費量 [ 2008年第一位 高知県 ] -0.04 0.00
高齢者数 [ 2009年第一位 島根県 ] -0.04 0.00
コーヒー消費量 [ 2009年第一位 奈良県 ] -0.04 0.00
スポーツクラブ [ 2010年第一位 長野県 ] -0.09 0.01
県民所得 [ 2006年第一位 東京都 ] -0.10 0.01
牛乳消費量 [ 2009年第一位 埼玉県 ] -0.14 0.02
年間自然放射線量 [ 1988年第一位 岐阜県 ] -0.14 0.02
最低賃金 [ 2009年第一位 東京都 ] -0.14 0.02
食事時間 [ 2006年第一位 東京都 ] -0.16 0.02
読売新聞販売部数 [ 2010年第一位 埼玉県 ] -0.16 0.02
酢消費量 [ 2008年第一位 鹿児島県 ] -0.17 0.03
空気清浄機普及率 [ 2009年第一位 奈良県 ] -0.18 0.03
肝臓ガン死亡者数:男性 [ 2006年第一位 佐賀県 ] -0.18 0.03
教育費 [ 2008年第一位 埼玉県 ] -0.18 0.03
魅力 [ 2010年第一位 北海道 ] -0.18 0.03
学習塾・予備校費用 [ 2008年第一位 埼玉県 ] -0.18 0.03
1世帯あたり貯蓄額 [ 2008年第一位 奈良県 ] -0.19 0.03
砂糖消費量 [ 2008年第一位 長野県 ] -0.19 0.03
精神科医師数 [ 2006年第一位 佐賀県 ] -0.19 0.04
年間晴れ日数 [ 2010年第一位 香川県 ] -0.20 0.04
白血病死亡者数 [ 2009年第一位 鹿児島県 ] -0.21 0.04
鶏肉消費量 [ 2008年第一位 大分県 ] -0.23 0.05
100歳以上高齢者:男性 [ 2009年第一位 高知県 ] -0.25 0.06
スポーツ活動率 [ 2006年第一位 宮崎県 ] -0.28 0.08
ミネラルウォーター消費量 [ 2009年第一位 沖縄県 ] -0.28 0.08
産経新聞販売部数 [ 2010年第一位 奈良県 ] -0.29 0.08
無印良品店舗数 [ 2009年第一位 滋賀県 ] -0.29 0.08
アジ消費量 [ 2008年第一位 長崎県 ] -0.30 0.09
独居老人率(60代以上ひとり暮らし率) [ 2005年第一位 鹿児島県 ] -0.32 0.10
毎日新聞販売部数 [ 2010年第一位 奈良県 ] -0.32 0.10
朝日新聞販売部数 [ 2010年第一位 山口県 ] -0.32 0.10
タイ消費量 [ 2008年第一位 佐賀県 ] -0.33 0.11
サバ消費量 [ 2008年第一位 島根県 ] -0.34 0.11
電気使用量 [ 2008年第一位 福井県 ] -0.34 0.11
日経新聞販売部数 [ 2010年第一位 東京都 ] -0.34 0.11
緑茶消費量 [ 2009年第一位 静岡県 ] -0.34 0.12
ケチャップ消費量 [ 2008年第一位 熊本県 ] -0.35 0.12
現役医師数 [ 2006年第一位 京都府 ] -0.36 0.13
東大合格者数 [ 2009年第一位 東京都 ] -0.38 0.15
平均寿命:男性 [ 2005年第一位 長野県 ] -0.40 0.16
イワシ消費量 [ 2008年第一位 鳥取県 ] -0.41 0.17
結核感染者数 [ 2009年第一位 東京都 ] -0.43 0.18
牛肉消費量 [ 2008年第一位 和歌山県 ] -0.45 0.21
パン消費量 [ 2008年第一位 京都府 ] -0.46 0.21
エアコン普及率 [ 2009年第一位 京都府 ] -0.49 0.24
年間真夏日数 [ 2010年第一位 沖縄県 ] -0.50 0.25
年間平均気温 [ 2010年第一位 沖縄県 ] -0.55 0.31

テーマ : 科学・医療・心理 - ジャンル : 学問・文化・芸術

18:43  |  喫煙  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/15(Wed)

優生学と人為淘汰

社会ダーウィニズムが、人間社会の動きを疑似自然淘汰(弱肉強食、優勝劣敗)に委ねようとするイデオロギーであるのに対し、優生学とか優生思想なるものは、権力による優生的遺伝子の選抜、という人為淘汰です。

何をもって「優生」(メンデル遺伝の「優性」「劣性」とは違います)とするか、権力層の思惑一つで決まります。この「優生」なる人々を「意図的に」残し、そうでないものを断種する、という政策です。

人為選択の基準:人間(優生であるかないか)
人為選択の実行者:権力層とそれに群がる御用学者など

その底流にあるというか親和性の高いイデオロギーは全体主義です。

優生思想においては、個人はその遺伝的組成でもって評価されます。
権力層の思い描く、国家、社会にとって価値のある存在(遺伝的組成)かどうか?

私たち、支配される側の人々は、人間の尊厳、という価値観でもってこれに対抗しなければなりません。
すべての人間は、人間であるという一点のみにおいて平等であり、個人としての尊厳を保証されなければならない。これが人間の尊厳という理念です。

優生思想は全体主義ですから、全体のためには個が犠牲にされるべきだ、と考えます。

この全体主義と似て非なるものが、和をもって貴しとなす、という日本古来の(とされている)精神です。
人間は社会的存在でありますから、「社会のために」という気持ちをもっています。社会的な存在感を感じられないとき、人間はストレスを感じるのです。

この社会的動物としての人間性につけ込むのが全体主義です。

確かに、個が全体のために犠牲になるべき局面はあると思います。
問題は、権力層にとっての「全体」と、私たち支配される側の「全体」は内実を異にする、という点にあります。

最大多数の最大幸福という理念(勉強したことありませんが)における最大多数とは、支配される側の私たち、と理解すべきです。個人の尊厳を理念とする社会こそ私たちにとっての「全体」です。そのためなら、自分が犠牲になっても仕方ない局面が訪れるかもしれません。

しかしながら、現実問題として、これまでの社会というのは、基本的に権力層のための社会であることは、自明のことです。
戦争など、支配される側の人々が戦争に駆り出されたり、爆弾を落とされたり、、、のようにです。

優生思想は、人類の将来にとって、、、という具合に、「全体」を配慮するように誘導します。
このときの「全体」は、権力層の都合の良い全体であることに注意が肝要なのです。個人の尊厳を踏みにじるような全体です。これは到底、許容できません。

御用学者はもちろん、マスメディア(朝日新聞とか?;クローン人間についての朝日新聞社説に関する後藤健教授の論評)、インテリ(死語か?)ぶる人々は、たいてい「全体」を配慮するような態度をしめして「善人」ぶりを見せかけます。しかし、その「全体」とはたいていの場合、権力層の都合の良い「全体」になっているのです。朝日新聞はいまだに戦前の軍国主義を煽った戦争責任をとっていません。

少々脱線したかも知れませんが、「全体」を配慮するよう求める論調にはその底流に権力層の思惑が隠されている、と私は考えています。

テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : ダーウィン 自然淘汰 イデオロギー 適者生存 社会ダーウィニズム 優生学 全体主義 個人の尊厳

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2012.02/14(Tue)

牛乳キャンペーンの謎

確か小5か小6の頃(60年代前半)、担任の先生が給食のときに牛乳はこうやって飲みましょう、と、まるで食べ物を食べるように、カミカミ、もぐもぐ、一生懸命プレゼンテーションしていた。素直な僕なんぞは、その動作がとても滑稽で思わず吹き出してしまったような、、、。そんなこんなで、その担任からはずっと冷遇されてしまいました。

給食にはチーズが配給されることもあり、半数近くか過半数か忘れてしまったけれど(女子の方が多かったような)チーズ嫌いの子が結構おり、僕(だけではないけど)はそれを貰い受けてたらふく食った、という思い出がある。

さて、牛乳は牛の乳児の食糧で、母乳は人間の乳児の食糧だ。

離乳期以降の人間が、本来が牛の乳児のために分泌されている牛乳を飲むって、変なの!
というのが、最近の私の直感だ。

だが、この直観を正当化する論理はあるだろうか?
米やホウレンソウなどの農作物は、自然に受け入れられるから、別に人為的生産に「異」を感じているわけではない。

違和感を感じる要因として思いつくことの一つは、それは「乳児」のための食糧だから、ということにあるのではないか?

仮にだ、、、
牛乳の代わりに、女性の母乳が市場に出回っているとしたら、まぁ、おいしさは別としても(というか覚えてない!)「母乳」の方が人気が高いだろう。
もちろん、母乳提供サービスというのがあって(というか、あるとして)、まぁ、乳母みたいなものね、直接、吸飲させてくれるなら、それは「栄養」的側面は別にしても、気分的には心地よいだろう(飲む人は、成長期のこどもや成人した大人だよ)。

後者の状況は、とても異様な光景だ(個人的趣味として密室ならまぁいいか、かも)。
前者(女性から搾った母乳)にしても、いつまでそんなもん飲んでるんだ、って感じかな?

離乳期がすぎたらわざわざ離乳させているのに、どうしてまた「乳」を飲ませるのか?
牛乳ならいいのか?
人間の子供や大人に対して、牛のあかちゃんになりましょう!
ってか?

人間が牛乳を飲むのって変!という直観の背後にある論理は、どうやら、牛乳を飲む行為は、人間の生理法則に反しているのではないか、という疑問なんだね。

牛乳は離乳期以降の人体には悪影響を及ぼす、これが作業仮説だ。
これに対し、政府、酪農業界(お抱え学者を含む)は、戦後、牛乳の消費拡大を追求してきた。学校給食に導入して強制的に飲ませてきたりもした。栄養たっぷり、ということでね。
確かに、栄養分があるのは直観的にも理解できる;何故なら、牛の赤ちゃんを育てる食糧だからね。
でも、落とし穴があるんだよね。

乳がんや前立腺癌は、西洋的な病気で、これは多分、酪農製品摂取過多に起因しているだろう。
日本でも、こうした癌が急増しているけど、、、酪農製品の消費拡大と関係はないのだろうか?

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tag : キャンペーン 牛乳 酪農製品 乳児 母乳 乳がん 前立腺癌

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2012.02/14(Tue)

ダーウィン進化論の精髄(4)

今回は自然淘汰に関連して、学術用語と日常語の交錯に、生物学者がどのように寄与しているのか、考えてみたいと思います。
まず、社会事象を記述するのに学術用語(今の場合、自然淘汰)を用いて比喩的に表現する事例。

Googleで、<自然淘汰 site:go.jp>で検索し、らしきものとして最初にヒットしたのが、総合研究大学院大学の学長、集団遺伝学者、高畑尚之教授の「国立大学法人とダーウィンの自然淘汰」(PDFファイル)です。国立大学財務・経営センターとかいう独立行政法人があるようで、そのどこかに掲載されていました。いろいろな行政法人があるものですね。初めて知りました。その理事長豊田長康氏のブログ「ある地方大学元学長のつぼやき」はなかなかに読みごたえがあり、これから勉強させてもらいたいと思っています。

さて、この所感らしき文書の一部を抜粋します。引用文中、赤字の部分は私による強調です。
法人化した国立大学が、それぞれの歴史や地域性を踏まえ、独自の社会的な役割を期待されることに異論はない。しかし、高等教育の在り方に対する明確な国策がないと機能分化によって多様化した国立大学は、ダーウィン的な「自然淘汰」の対象となるだけだ。(中略)
  種内の多様性(変異)には、その種を取り巻く環境からみて次世代を残す上で良いものと悪いものがある。生存競争の結果良いものは保存され、悪いものは捨て去られる傾向にあることを、ダーウィンは自然淘汰と呼んだ。自然淘汰は種内の多様性をふるいにかける。環境が一定のままで自然淘汰が働き続けると、多様性は枯渇しその環境に最適なものだけが生き残る。実際の場合に多様性が枯渇しないのは、突然変異による継続的な供給のためだ。
 国立大学の法人化以降の状況は、このような生物進化のプロセスに酷似してきた。新制大学のもとでは淘汰すべき基準がなかったし、もともと淘汰の対象でもなかった。
国立大学が法人化され、優勝劣敗の篩にかけられるようになったことを表現するのに、自然淘汰原理を引き合いに出すのは、的確な比喩であるとは私は思いません。優勝劣敗が自然淘汰による生物進化に酷似していると彼は述べていますが、酷似することになってしまったのは、彼が自然淘汰概念を通俗的な(世間的に誤解された)内容に近づけて表現したためです。それは、「良いものと悪いもの」という具合に価値観を(恐らく彼の意図ではないでしょうが、多分に筆のすべりとして)織り込ませてしまっている点に端的に表れています。

高名な集団遺伝学者ですから、自然淘汰についてももちろん一級の理解をされているはずですが、このような形で何らかの社会的所感を表明する際に、通俗的表現に妥協してしまっているのだ、と思います。こうした一つ一つの作業を通じて、学術用語の誤解釈が一般のひとびとに普及してしまうのでしょう。

権力による社会ダーウィニズムの喧伝や、売らんかな主義のサイエンスライターによる御解釈の普及に比べると社会的効果は小さいかもしれませんが、専門家の発言は権威付けの側面がありますから侮れません。

これに対し、ドーキンスの利己的遺伝子の場合は、「利己的」という日常用語を学術用語に転用して、一般の人々に混乱を巻き起こしたものと言えます。霊長類学者フランス=ド=ヴァールの言葉を借りると次のようです。なお、訳文は、帯広畜産大学後藤 健教授の「なわばりから群れへ」に記載されているものを引用します。
・・・ドーキンスは彼の比喩は比喩ではなく、本当に遺伝子は利己的なんだ、と弁解し、利己性をどのように定義しようと勝手だ、と言い張った。しかし、彼は、用語を全然異なった分野から借用し、とても狭い意味でそれを使ったのだ。こんなことが許されるのは、二つの意味がどんな時でも交錯しないときに限られるだろう;だが、不運なことに、二つの意味は混合し、このジャンルの幾人かの著者は、「ひとびとが彼ら自身のことを非利己的だなどと言おうものなら、おお!貧しい魂よ!汝は自己欺瞞に陥っているに違いない」とまでほのめかすまでにもなったのである。France De Waal, Good Natured The Origins of Right and Wrong in Humans and Other Animals, 1996 より(訳書あり)
遺伝子が同一ゲノム内の他の遺伝子と生き残りをかけて競争しているか、これは現在のところ想像の域をでないアイディアといっていいでしょう。自然淘汰の対象は個体としての適応度です。ゲノム内の遺伝的組成が調和を保持していない限り適応度は低くならざるを得ないのではないでしょうか:ここで、「調和」は、ゲノムとして適応度を損なわないような遺伝的組成、という意味合いで用いています。

いずれにせよ、自然淘汰の直接の対象が個体である限り、個々の遺伝子は適応度という基準で選抜されざるを得ないのです。つまり、一つの遺伝子を他の遺伝子と切り離した形でその繁栄ポテンシャルを評価することは、とても不自然のように思います;その遺伝子の適応度に対する影響は、他の遺伝子がAであるかBであるか、或いはどの染色体に乗るか、、、、等々のゲノム組成における位置づけによって左右される、と考えるのが自然だと思います。

さて、主題に戻りますが、利己的遺伝子論にはドーキンス自身が人間の遺伝的本性を利己的オンリーと考えている旨の表現があります。生物は確かに本性(つまり生物の遺伝的性質)として増殖しようという特性を持っています。生物の目的 The ENDは増殖です。人間もこの特性をもちろん持っています。しかし、知能をもつ生物であると、もう一つ別格、別次元の目的を持っているのであって、この場合にはそれをPURPOSEと呼ぶのです。知能が構築する目的Puposeは、生物の遺伝的に規定された目的Endとは全く次元を異にしていることに注意してください。

意識の中の「利己」と生命の目的endとしての増殖追求を混同してはいけません。

ドーキンスはこれを(作為的にか?)混同させ、遺伝子という物質に「意志」をもつかのような用語を割り当てたのでした。混乱は避けられません。

以上、両方向への用語の転用を概観してみたのですが、私としてはとても残念に思います。

第一に、誤解を解くために、大学での教育に無駄なエネルギーを割かざるを得ない。
第二に、一般のひとびとが科学的知識を得る上で大きな障害となっている。

生物学の概念には、難しいものは殆どないし、一般の人々にも親近感のあるものが多いだけに、こうした状況はとても憂うべきことだと思います。しかし、以上、二例でみたように、生物学者自身が煙に巻いているという現状を思うと、その改善は絶望的に不可能だといってよいのかもしれません。

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tag : 自然淘汰 ダーウィン 学術用語 ドーキンス 利己的遺伝子 End Purpose

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2012.02/13(Mon)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(6)

Smoking, Health & Personality (H. J. Eysenck)の初版は1965年で、Eysenckの死後、2000年に再出版されていたようです。その序言をチュービンゲン大学医学心理学準教授Stuart Brodyが書いており、Google Bookで読むことが出来ます。ちょっと訳出してみました。生硬な訳文で、誤訳もあるかもしれませんが、このような考え方も世の中にはあるのだということを紹介する意味で、ここに掲載します。なお、訳出文(グリーン色)のなかで赤字にした部分は私による強調です。

本書でアイゼンクは、文献を批判的にレビューするだけではなく、心理学的要因が喫煙よりもずっと強力な心臓病や癌の予言因子であることを示した縦断研究を紹介し、心理学的介入が死亡率を半減させられることを実証している(これとは対照的に、大量なキャンペーンはひとびとに喫煙やコレステロールを控えるように熱心に勧めているが、健康促進について実証的な証拠を示すことが出来ていない)。彼はまた、数百万の死を喫煙に帰属させる因習について偶像破壊的に攻撃している。

この序文を執筆している時点で、アメリカ弁護団はタバコ会社のextortionに関し、10億ドルの損害賠償を収奪している。そこでは、被告人は貧困者の健康損失過剰分に責任を負うとされている。 弁護団の民主党への寄付のほか、国立がん研究所とアメリカ癌協会のような名目上の慈善団体の間には特筆すべき財政的な癒着がある。そこでは税金によって作られた政治的な同盟がある(Cancerscamに詳述されている)。研究者の研究資金と名声もまたこの党路線に従うかどうかに大いにかかっている。こうした影響力に比べると、たばこ会社はほとんど賄賂性とは無縁である。

しかし、カネは人々が戦争を遂行する唯一の理由ではない。ちょうど、宗教、クラン、ナショナリズムが強欲よりももっと死者を生んだかもしれないように、イデオロギー防衛は科学を攻撃する基礎になっている。巨大企業を消滅させることはあるものにとっては魅力的なのだ。それはちょうど、究極の悲劇を(なんらかの外的な障害には当てはまらないにしても)永久に遅延できるという考えが魅力的であるように、だ。

私の著作において別の文脈で記述したように、リスク因子疫学は政治目的のために操作されてきた喫煙者は非喫煙者といくつかの重要な点で異なる傾向にある(準最適自己規制に通じるパーソナリティ性向、低教育、低収入、低栄養、娯楽的なドラッグ使用の傾向、等)。こうした違いを完全に調整出来なければ、責任のすべてが惜しみなく喫煙に与えられることになる。

驚くべきことではないが、「喫煙、健康およびパーソナリティ」は、最初に出版されて以降、猛烈に攻撃され、アイゼンクは(ほかにもいろいろあるが何よりも)『不可能な』結果を得たというかどで責められた。彼の研究はこのトピックについての後続のたくさんの議論から都合よく除外された(書誌的に同型なことは、アイゼンクはいくつかの大学で情報研究について話すことを禁じられたのである)。しかし、最近では、他の縦断(経時的)研究もパーソナリティが最良の寿命予言因子であることを明らかにしてきた。フリードマンとその同僚は、テルマンによって開始された数十年にわたる縦断研究のデータを用いて、喫煙や飲酒の効果を加味してさえ、誠実性というパーソナリティ形質が(被験者の性別を除くと)生存の最良の予言因子であることを明らかにした。セルツァーは、フラミンガム研究においては、パーソナリティー特性を交絡因子に含めると喫煙と冠状動脈性心臓病との関係が消失することを示し、政治的な圧力がこうした情報を隠蔽することについて論評した。このような研究は、本書でアイゼンクによって用いられ、より小さな効果サイズを導くことになったパーソナリティ変数よりももっと広範な変数を使用したものである;同じような変数は、欝がその後の疾病、死亡の予言因子であるとした他の研究でも使用された。

1996年夏、アイゼンクに会ったとき少しは病弱に見えたけれども、活動的で変わらぬ使命感をもっていた。彼は、本書での研究が繰り返されることを願っていることを示した。不運なことに、このことは彼の生存中には不可能であった。本書は、彼の残した非常に大きな学術遺産の重要な一部である。それは、提示されているデータについてはもちろんのこと、科学的好奇心やリバタリアニズムの感性に対しても大いに賞賛すべきものである。

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tag : イデオロギー 利権 パーソナリティ

12:28  |  喫煙  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/09(Thu)

社会ダーウィニズムとヒュームの法則

前回ダーウィン進化論の精髄(3)で社会ダーウィニズムの論理的構造について考えました。

その後、「社会ダーウィニズム」についてネット検索していたら、それは自然主義的誤謬に関連していることがわかりました。
ただ、Wikipediaによると、自然主義的誤謬という用語も論者によっていろいろな意味に用いられているようだし、私は哲学史的には「ヒュームの法則」を使って社会ダーウィニズムを断罪するのが正当かな、と考えました。
ヒュームの法則とは「~である」から「~すべき」は導けないという原理だそうです。

ただし、ダーウィン進化論の精髄(3)で説明したように、社会ダーウィニズムにおいては、「~である」という命題(自然淘汰による進化)自体が変節させられている、という点でヒュームの法則を侵犯しているだけではない、という点に注意が肝腎です。

なおWikiの「自然に訴える論証」項目では、ヒュームの法則を侵犯する事例がいろいろ記述されていて面白い。

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tag : 社会ダーウィニズム ヒュームの法則 イデオロギー 自然淘汰 ダーウィン 適者生存 適応度

13:37  |  権力の闇  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/08(Wed)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(5)

1960年前後から開始された、牛深村(半農半漁)と田主丸(農村)(いずれも九州)の総計約千名(開始当初40~59歳)を対象にしたコホート追跡研究、最初の10年間のまとめが下の図です(再掲)。
7 counties Japan

その出典は1980年の著書Seven countries: a multivariate analysis of death and coronary heart diseaseで、その後、1993年の論文The French Paradox: Dietary Factors and Cigarette Smoking‐Related Health Risksにもこのデータに依拠して
In Japan (not shown), the risk did not increase at all.

と堂々と記載されていました。私自身は後者の論文で初めてこの衝撃的な事実を知りました。フレンチパラドックスも印象的でしたが、ジャパニーズパラドックス(日本パラドックス)の方がずっと凄いことです。

しかし、なぜか、日本国内ではこの研究成果は一般の話題に上がりませんでした。禁煙キャンペーンのせいでしょうか?
いずれにせよ、この二村の調査を行ってきたのは日本人研究者のグループです。

その後、1995年には25年間の調査結果をまとめた日本グループによる論文
The Seven Countries Study in Japan:Twenty-five-year Experience in Cardiovascular and All-causes Deathsが公刊されています。前回にも触れたように喫煙リスクが現れたようです。その統計の読み方が私にはわからないのですが、全死因による死亡リスクで一番重要なのは加齢(年齢)で、その次が喫煙で、加齢リスクの約10分の一ほどの寄与率を算出していました。

次の図は、別の著者による論文Cigarette smoking and mortality risk: twenty-five-year follow-up of the Seven Countries Studyの図から拝借したものです。全死亡因(all-causes)による25年間の死亡率について、一日10本以上の喫煙者と非喫煙者の差をプロットしたものです(黄色のマーカーは私が付けました)。
1999 7 countries all-causes

一番左の値(Pooled)は7か国すべてのデータをまとめたものです。田主丸では信頼区間は横軸スレスレ(非喫煙者と差がなく)ですし、牛深では信頼区間が横軸を超えてしまっています。ちょっと信頼区間が大きすぎますね。平均値でいくら差があろうと、これでは喫煙者の方が死亡率が高いとは言えないのではないでしょうか?因みに、このデータを用いて喫煙による大雑把な損失寿命(損失余命)を試算してみると田主丸で4.5年(95%信頼区間0.0~8.9年)、牛深で2.4年(95%信頼区間 -2.1~6.9年)となります。

その後、7か国の他の国で40年追跡(2000年前後に終了しているはず)をまとめた論文がちらほらあるようですが、日本の分については探すことが出来ませんでした(2000年段階で、80~109歳になっているはずなので、ほとんどの方が死亡してしまって、つまり死亡率の差がなくなって喫煙リスクが出せないかも;とはいえ、喫煙者と非喫煙者の死亡率の年次推移の生データを公表してほしいです)。

次の図は、もっと大規模なコホート(1980年開始、30歳以上、約1万人)についての20年追跡研究Life expectancy among Japanese of different smoking status in Japan: NIPPON DATA80.(いわゆるNIPPON DATA80)のうち男約5千人についての平均余命に関するデータを私が作図したものです。
2007 NIPPON DATA80

この論文では、喫煙による損失余命(喫煙者と非喫煙者の平均余命の差)(損失寿命)は2,3年と結論しています。図で各点に付した縦棒は95%信頼区間を表します。加齢するにつれ、徐々に差が縮まっていくようにみえますね。

運よく75歳まで生きられれば、喫煙によるリスクはほとんど消えています。

75歳を過ぎるとヘビースモーカー(右図)の方が非喫煙者より長生きしそうですし。
左の図は、全喫煙者です。

そこまで僕生きられるかなぁ?

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tag : 7か国研究 田主丸 牛深 全死因 損失寿命 平均余命 NIPPON-DATA80

17:04  |  喫煙  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/08(Wed)

ダーウィン進化論の精髄(3)

今回は、科学用語の転用とイデオロギーについて考えます。

科学の場合、科学用語は厳密に定義されなくてはいけません。
自然淘汰という用語も、このシリーズの(1)(2)である程度厳密に定義したつもりです。例えば↓

自然淘汰;適応度の高い個体の子孫が同一種の集団内で分布を広めていく過程

このアイデアを人間社会に誤用したのが社会ダーウィニズムで、これはイデオロギーであって科学ではありません。
私は、社会ダーウィニズムについては学生時代に勉強したきりであり厳密な定義はできません。そこで「自然科学と階級的立場」に掲載されている論考「社会ダーウィニズム考」(林紘義)から一つの定義らしきものを引用します。

社会ダーウィニズムは簡単に言えば、生物界が、ダーウィンの言うように、生存競争と自然淘汰によって進化し、発展するなら、生物の一つである人類もまた同じ法則によって進化するのではないか、というものである。

私は久しぶりにこの論考(2002年)全体に貫かれている濃厚なイデオロギー性に触れ、30年以上も前の学生時代を思い起こして感慨深いものがありました。ただし、私はこのイデオロギーに与しているわけではありません。

この論考を読めば、この著者が「生存競争」と「自然淘汰」という用語を誤用していていることが容易に分かります。もっとも↑の引用文で科学用語を正しく理解した形で読めばこの引用文は基本的には真実なのですが、社会ダーウィニズムの含意するところを勘案すると、この引用文が科学用語を誤用していない限り社会ダーウィニズムを説明できないことになるのです。なお、ダーウィン自身による用語の定義自身にも曖昧性があったことは、ダーウィン理論の理解を巡って(私が学生だった頃でさえ)諸説入り乱れていたことからもわかります。

いずれにせよ、社会ダーウィニズムにおける「生存競争」や「自然淘汰」という用語が弱肉強食とか優勝劣敗などと親近感をもって使われたことは明らかでしょう。

ついでに、三省堂新明解四字熟語辞典から引用します。

自然淘汰 意味
自然界で、生態的条件や環境などによりよく適合するものは生存を続け、そうでない劣勢のものは自然に滅びていくこと。転じて、長い間には劣悪なものは滅び、優良なものだけが自然に生き残ること。▽「淘汰」は選び分ける。悪いものを捨て、よいものを取ること。もとダーウィンが進化論の中で説いた語。

適者生存 用例
その過程で適者生存の原則が適用され、強いものが生き残って、自然淘汰とうたが行われていく。<江藤淳・漱石における世紀末>

もうひとつおまけ。徳島大学総合科学部 学部共通科目「科学と人間」のプレゼンテーションのひとつ(PDFファイル)から。

「自然淘汰」は人間社会にも適用されるべきか?

このように、自然淘汰、生存競争、適者生存、等々の科学用語が当たり前のように誤用され、広く市民権を得ております。

この誤用には少なくとも三つの意味があります。

①誤用によって真の自然理解が妨げられていること
②自然法則をイデオロギー的に解釈していること
③自然法則の名を借りて、イデオロギー性を隠蔽したイデオロギーになっていること。

一番目のものは、まぁ愛嬌だ、といって済まされる問題ではあります。ただ、容易に②を媒介として③を導くものでもありますので、やはり改善しなければならないかもしれません。

とはいえ、根本的には問題は②、③の点にあるでしょう。

まず確認しておきたいのですが、
人間といえども自然法則(自然の力)に逆らうことは一つもできない
という点です。

人間の行為はすべて人為ですが、自然法則に従わない限り何もできません。これに対し、人間活動の結果、ご存知のように、自然は大きく改変されました。言い換えると、
人間は自然法則(自然の力)(法則性)にしたがって自然の流れを変えている
のです。

この自然の流れなら、人間社会の歴史を含め、ある程度意図的に方向付けることはできます。
しかし、絶対に自然法則には逆らえません。

さて、②自然法則(自然の力)(価値的に中立)をイデオロギー的に解釈し、自然法則を価値観(多くはそれを”善”とする)のように見立てることの本質はどこにあるのでしょうか?

自然法則をイデオロギー的に解釈して、ある特定の価値を付与、注入した時点で、「自然法則」なるものは、擬似自然法則(今の場合、自然法則を装ったイデオロギー)に変質しています。イデオロギーではないとみせかけたイデオロギーにほかなりません(③)。イデオロギーの隠蔽ですね。この隠蔽が可能なのは、社会ダーウィニズムで明らかなように、科学用語のイデオロギー的誤用に基づいています。

「生存競争(誤用)による自然淘汰(誤用)」(疑似自然法則:社会ダーウィニズム)にしたがうことが善だ。

或いは、社会ダーウィニズムに親近感のある基本態度と言うのは②ではなく、
④自然の流れに任せること(人為を排除すること)を善とするイデオロギー(つまり、これも人為なのですが)
である、という観点も成立します。

「生存競争」による「適者生存」、「優勝劣敗」の「弱肉強食」という「自然淘汰」を自然界の流れ、と見なし、この流れに人間社会も従おう、というイデオロギーが社会ダーウィニズムです。ただし、この場合の自然界の流れは嘘の流れになっています。

まぁ、イデオロギーなので、とやかく言ってもしょうがないと言えば言えるのですが、明らかに論理矛盾を犯していますね?
なぜなら、人間活動のすべてが「人為」だからです。数ある選択枝の中から、どの選択枝を実現させるか、、、その一つが「何も介入しない」という原理なのです。何も介入しないという介入、と言ってもいいかもしれませんね。例えば、トキは放っておけば絶滅するのが自然の流れなのだから、それに任すのが善、保護しようとするのは悪、といった感じです。

当たり前のことを何度も言いますが、人間活動は選択枝のうち一つを選ぶという行為なのです。大切なことは、その際の選択基準に一貫性を持たせる(ダブルスタンダードは変節行為)という点です。

「何も介入しない」という原則を善とするならば、そのイデオローグは医療介入も否定しなければなりません(筋を通せば、ですが)。その場合、近代人であれば、早々にお亡くなりになっている可能性が大きいですから、筋は通してこなかった、という推論が成り立ちます。もっとも、近代人の中にも、まれに、生れ落ちるときから、産婆にも医者にもかからなかった人はいるかもしれません。でも農業の興隆による恩恵(良好な栄養状態)という「人為介入」から免れていることはありえないでしょう。

さて、自然淘汰に戻ります。
科学的用語の正しい意味における自然淘汰に対して、人間のできることは適応度を変えることです。
このシリーズ(2)で適応度:所与の環境で、次代に残す繁殖可能な子孫数の遺伝的期待値、と定義しました。
このうち、人間活動によって変わりうるのは「所与の環境」と、個々人の遺伝的組成でしょう。

前者については、例えば、西洋的医療の介入強化、という形で現実に行われています。僕なんかが今も生きていられるのはそのおかげだな。

後者については、遺伝子工学など生物工学を通じた(生殖細胞の)遺伝的組成の人工的改変を想定しています。スーパー人間の遺伝的組成はどのようなものでしょうか(才色兼備、無病息災???)。そうした生物工学は近未来において不可能とは言えません。もちろん、そうした行為が行われてよいかどうかは、社会的な判断によって決めなければなりません。

ただし、こうした人為は技術的介入なので、自然淘汰というより人為淘汰の領域ですね。

したがって、これまでのところ、人間社会は、所与の環境(=適応度を規定する要因)を改変することによって、人間集団内部の遺伝的組成を(非意図的にせよ)変えてきた、と考えることが出来ます。自然淘汰という力そのものに逆らっているわけではなく、それに従いつつも、自然の流れ(進化方向)を変えてきたのです。近代医療の介入や豊富な食料供給がなければ(程度の差はあれ)遺伝的には生きていけない人間でも生きていけるのが現代日本社会だと思います。

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tag : 社会ダーウィニズム イデオロギー 自然淘汰 ダーウィン 適者生存 適応度

14:44  |  進化の機構  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/06(Mon)

ダーウィン進化論の精髄(2)

生物進化とは、その生物が所属する集団(種個体群)の遺伝的組成が変化することです。

この集団に、a遺伝子をもつものたちとその変異型のa’遺伝子をもつものたちがいるとします。両者の個体数比率が時間とともに変わっていけば集団の遺伝的組成は変化(つまり進化)したことになります

この集団が「適応的」に進化(=変化)していく上で作用する自然法則を自然淘汰 natural selection と呼びます。

<集団が「適応的」に進化していく>とは、所与の環境に対してよりよく「適応」した個体の割合が増えていくことを指しています。

では、適応(的)adaptation (adaptive) とはなんでしょうか?

個々の部分的な生命機能も適応的に働いておりますが(例えば、ヒトの悪知恵能力)、そうした部分反応を統合した生物個体としての総合的な適応の度合いが進化的には重要です。その度合いは繁殖力で決まります。
そこで、適応度(=繁殖成功度)という概念を定義します。

適応度: 所与の環境で、次代に残す繁殖可能な子孫数の遺伝的期待値

適応度の高い個体ほど、所与の環境により適応している、と生物学では考えます。

この定義からわかることに次のような事柄があります。
①適応度は生物個体の遺伝的組成(つまりゲノム内容)で決まります
②(言い換えると)適応度は現実に残す繁殖可能な子孫数ではなく、その遺伝的組成から期待される繁殖可能な子孫数の予想値です
ここは補足説明がいるかもしれません。
現実に子孫を残すかどうかは偶然によっても左右されます:例えば飛行機事故
しかし、この偶然性は、集団(種個体群)内のすべての個体に対して等しい確率で起こります
このため、どのような遺伝的組成が集団内に広がっていくかにこの偶然性は全く寄与しないことになるわけです
③(蛇足ですが)子孫の中には繁殖可能なものも不可能なものもありますが、適応度にカウントされるのは繁殖可能な子孫だけです
④ある環境で適応度が高かったとしても、その環境が変化すれば適応度を下げる可能性があります

適者生存という時の適者とは適応度の高い個体を指し、生存とは単なる現在的な生存ではなく後代の生存を表しています。

適応度の定義から明らかなように、一つの生物集団(種個体群)の内部では適応度の高い個体の子孫が数的に優先していきます。この過程(プロセス)が、自然淘汰による生物進化です。

人為淘汰の場合、育種家が、その基準(主観、目的)に適う個体だけを選抜し、残していきます。
自然淘汰の場合、選抜基準は適応度です。では、育種家の代わりに選抜する(手を下す)主体はなにものでしょうか?

これはちょっと難問ですね。

この場合、あえて主体を考えず、自然淘汰の「自然」は、ひとりでに(とか、放っておけば)、という意味の自然(じねん)なのだ、ととらえるのが一番簡単であるように思います。自然淘汰(しぜんとうた)とは適者をひとりでに選抜する自然のメカニズム、あるいは自然力(自然作用)である、と。

これは、覆水盆に返らず、と同程度に人間にとって自明な法則(のうち、経験則)です。
あるいは、論理的には否定できない法則でもあります。

もう一歩踏み込んで、人為淘汰における育種家の役割に準えられる主体が自然淘汰ではなにものに相当するのか、考えて見ましょう。

結論的にいうと、それは生物個体をとりまく「所与の環境」でしょう。
「所与の環境」は生物個体にとっては外在的で無慈悲な(容赦のない)存在です。
ここで「無慈悲な(容赦のない)」というのは、ある遺伝的組成をもつ個体の適応度の大小は「所与の環境」が一義的に、しかも外的に、決めるからです。

ここで、生物も環境を改変する力をもっているではないか、だから環境は生物にとって単なる外在的な存在ではないのではないか、という反論があってもよいでしょう。

確かに、大気酸素やオゾン層、あるいは土壌の形成のように、生物は生態系の一員として環境を歴史的に改変する作用をもちます。しかし、自然淘汰を受ける一つ一つの生物個体にとって、自分自身の生命活動は生物全体の地球改変作用に比べ無視しうるレベルに微小、無力なものです。

自然淘汰の働く時間スケールは一世代という短さで、これと大掛かりな環境改変作用の歴史的時間スケールとは比べ物になりません。

また、より重要な点ですが、生物が一世代という短い時間スケールで何がしかの環境改変作用を行い、それによって適応度を変化させるようなレベルにまで環境が変わったとしても、ある遺伝的組成をもつ個体の適応度の大小を規定するのは、その変化した環境の方であることに変わりはないのです。

もちろん、その環境変化が特定の遺伝的組成を持った一団によって主に行われ、その一団に有利に働く、という場合も想定できます(実例を私は知りませんが)。しかし、その場合でも、環境改変作用は無目的に(つまり、生命活動の副産物として)行われているわけで、決して適応度を上げることを目的として行われるわけではありません。この意味で、やはり、ある生物の適応度を一義的に決めるのは、環境以外にありません。

以上、自然淘汰という自然作用(自然力)について二通りの考え方を述べてみました。いずれにせよ、上の説明で明らかになったと思いますが、自然淘汰による生物進化は、ラマルクが仮定したような生物の内在的な(神秘的な)力の助けを借りずに合理的なメカニズムによって説明できるのです。

実を言うと、私自身、学生時代、ラマルクの亡霊にとらわれていた時期があります。
突然変異は基本的に有害なのに、どうして生物は歴史とともに複雑な体制に進化したのか、どうして新しい機能を獲得できたのか、この謎をダーウィン進化論だけでは説明できなかったからです。

しかし、この謎を解く原理を説明した一冊の書物に触れ、1980年前後ようやくその亡霊から脱け出したのでした。またの機会に述べてみたいと思います。

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2012.02/05(Sun)

ダーウィン進化論の精髄

およそほとんどすべての人が知的好奇心を駆り立てられる問題の一つが生物進化の謎だ。
私は進化生物学の専門家ではないが、一般教養の範囲で話をしていきたい。

予め断っておきたいのだが、どのような自然科学もその科学用語にはいかなる意味でも人間的な価値概念を含んでいない、ということだ。
生物進化≠進歩、生物進化≠退歩

パソコンの進化とか扇風機の進化とか、テクノロジーの進歩を表すのに進化という学術用語が転用されて。、、単なる進歩よりも心地よい?響きを持たせるために使われている、のかな?しかし、学術用語としての進化という言葉には、進歩という価値概念は一切含まれていないことに注意してください。

生物学的には、したがって、人間はサルより高等でも何でもありません。
そもそも高等という用語には人間的価値が含まれているでしょう?

人間的価値を基準にとれば、特に中世キリスト教的な価値観からすれば、人間が高等である、というのは当たり前と言うか、最初から結論ありき、ですね。トートロジーです。

さて、今回、進化論にまつわりどんな誤解があるのかネットで探索してみました。
ブログ生物史から、自然の摂理を読み解くで紹介されていたのですが、とても面白いので、その一節を引用します。

この進化モデルは、環境に対する生物自身の能動的(主体的)な適応(本能)を一切排す点で運命論的である。

そして、「自然選択(自然淘汰)」を「自分ではどうすることもできない(自然)環境※」に、「有利な突然変異」を「奇跡的に生ずる変身(変態)」と置き換えると、これは古代の宗教思想そのものではないのか、という疑問が生まれる。

何のことはない、主流進化論とは、「奇跡的な(神の)救いが無ければ、生物は滅びゆくしかない」という、私権時代の閉塞が生み出した古代宗教思想の追認作業、つまり神の証明をしようとしているだけではないのか。

ダーウィン進化論の神髄は、生物進化の機構を神の手を借りることなく合理的に説明できることにあります。

生物は自然淘汰(自然選択)という自然の作用の前には、いかなる能動性(主体性、意思)もありません。それを、↑の一文を表した人が「運命論的」だと揶揄しようと、それは単にその論者の主観(価値観)を表明しているだけのものに過ぎません。

ラマルクは「前進的進化」を唱えたことからわかるように、生物自身に「高等」になるような内在的な力を仮定しています。この意味で彼は中世キリスト教的なイデオロギーの虜になっていたものと思われます:ラマルク進化論は科学にはなれない。

ところで、生物には増殖しようとする内在的で無意識的な能力があります。このため、「(神の)救いがなければ、生物は滅びゆくしかない」ということは起こりません。ダーウィンが自然淘汰原理の着想を得ることになった重要な生物原則の一つは、そもそも、生物は増えようとしている、ということだったのです。増えようとしているのに、どうして子孫の数は親の数にほぼ等しいのか?

たくさん生まれたこどもたちのうち、その環境に最も適応しているものだけが次代の親になれる。これが自然淘汰原理のきわめて粗っぽい表現です。こどもたちどうしで、いわゆる弱肉強食の闘争(血なまぐさい喧嘩)をするわけではありません。ある場合には、天敵から逃れる術に長けたものであったかもしれない。ある場合には、限られた資源の中で効率的に繁殖する能力をもったものだったかもしれない。で、そうした適応力において総合的に高いものたちは、低いものに比べて繁殖力が高い。つまり子孫を残しやすいのです。この能力の高低はどのようにして生まれるのか、は別の機会に話します。

念のために繰り返しますが、生物は環境に対して反射応答するだけの受動的な存在ではありません。
動物であれ植物であれプランクトンであれ、情報処理応答回路をもつという意味において「能動的に」反応する主体です。
しかし、どのような生物も、どのような進化の運命をたどるかという歴史的次元においては、自然の力の前に全く無力なのです。

それとも、自然の力、人間の意志ではどうしようも動かせない客体の存在を認めたくないだけですか?

寝る時間を大幅に過ぎたので今回はひとまずここで中断します。

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02:42  |  進化の機構  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/04(Sat)

粉ミルク、牛乳、核実験

60年代、僕は少年時代を過ごした。核実験反対の声もなかったわけではないだろうけれど、、町では、安保反対とか原潜寄港反対の運動が結構盛り上がっていたように思う。何にも知らない小6の僕も、塾の行き帰りなど、町でもらった「安保反対」風船をかかげ、友達と連れ立って「あんぽはんたーい」と口真似しながら楽しくスキップしていた記憶がある。東京オリンピックのころだ。

それで、米中ソの核実験によって日本国土が汚染されているとは全然気づかなかった。
今回の原発事故で僕もあらためて当時の汚染状況を知るところとなった。
明治の粉ミルク問題については、カリウム40とセシウム137(3)でも触れたが、日本における食品の汚染状況については、ブログ(核実験時代の粉ミルクの汚染は最大350Bq/kg(Cs-137)。やっと近年、1Bq/kgを切ってたのに!|爆発後の日々)でも紹介されているように、(財)日本分析センターの『食品と放射能』のページで簡単に調べることができる。一例を↓に示す。Cs-137 yearly changes

当時、小学校、中学校では給食に必ず牛乳がついており、誰もが強制的に内部被曝させられていた、とは知らなかったなぁ。
いまさらどうしようもないけれど、直前のブログで載せた死亡数の年次推移のグラフ、仮に核実験がなかったら、死亡年齢の最頻値がもっと高齢よりに変化していたかもね。

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23:36  |  低線量被曝  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/04(Sat)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(4)

前回(禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(2))、喫煙に伴う社会的損失について大雑把に推論してみた。国民医療費の経年的上昇は国民の高齢化現象によるものであって、喫煙者にまつわる医療費はそこに含まれてしまうだろう、という趣旨であった。

禁煙キャンペーンは国家的事業で行われており、少なくとも表面的には厚労省がその推進本部として働いている。

その禁煙キャンペーンには、どれほどの費用がかかるのかな?
キャンペーンに関わる人件費も計算して欲しいところだ。

で、とりいそぎ、喫煙影響に関わる疫学研究にどれほどの研究資金が投入されているか、Googleしたのだが、、、
今のところ、うまく見つからない。その代わりに、面白い研究を見つけた。

医療経済研究機構(略称IHEP)という財団法人があるそうな。いわゆる天下り法人らしく、その理事長は幸田正孝(元厚労省事務次官)。その2009年度報告書に、「禁煙政策のありかたに関する研究 〜喫煙によるコスト推計〜 報告書」というのがあって、とても啓蒙された。その報告書による喫煙コストの定義は↓
喫煙者が一消費者として負担しきれずに喫煙者が属している共同体に負担させているコスト
喫煙者は「共同体」における完全なお荷物あつかいだね。

なんという冷徹な選民思想の持ち主たちなのだ。

しかもだ、彼らは、喫煙者の罹患・死亡を『労働力の損失』と捉えておる。
素直な僕の頭ではなかなか理解しにくい視点なのだが、つまるところ、彼らは国民を国家に奉仕する「労働力」(まぁ、奴隷のようなものだね)としてしか、その存在を認めていないということらしい。恐ろしい発想だ。

ただし、実際問題として、喫煙者のうち退職するまでに死んでしまう人の割合はとても少ないんじゃないかな?
年齢別死亡数2005

私の勤める大学でも、この20数年、在職中の教員が死んだ例は一つもない(だから、喫煙者も一人も死んでない)。
また、禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(1)で紹介した日本人における喫煙影響の疫学研究では喫煙による死亡率の差は全く出ていない(↓)。
7 counties Japan
前回述べ忘れたが、↑(クリックすると拡大)は、1960年前後に40~59歳だった九州男児をその後10年間追跡調査した結果だ。

25年追跡の結果では、喫煙リスクが少し現れたようだけれども(これについては別の機会に)。
いずれにせよ、国民が労働力として奉仕させられている間は、喫煙の有無は奉仕性能に影響しない、ということが分かるデータだ。

さて、彼らは、「予防・研究・教育費用」もコストに算入させたかったようだ。
???
逆じゃないのか?
喫煙者がいるからこそ、あなたたちの食い扶持があるのではないかな?
いずれにしても彼らにとって喫煙者は社会のお荷物(・・・でも労働奉仕する奴隷でもあるのだけれどね)。
国内における嫌煙世論を誘導したのはあなたたちでしょう?

ところが、、、これについては『データ不足のため算出対象外』だと。もっとまじめにやってくれないかな?
どれだけ研究資金を使ったのか、そこが知りたかったんだよね!

おかしな事を言うなというブログでも「労働力」問題を考察していた。
ニコチン入り電子タバコで禁煙するブログ:電子タバコにニコチン入りのがあるとは知らなかった:いいかもね。

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20:42  |  喫煙  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/02(Thu)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(3)

世川行介という作家がいる。僕と同い年だ。
最近では『泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい』(アマゾン)とか『角栄と一郎』(ブログ世川行介放浪日記)を世に問い、国家の闇に葬り去られつつある小沢一郎という男を何とか救い出そうと、力を尽くしてきた。

彼のすごいところは「野垂れ死にをも許される自由」を生きようーー生きてきた、というべきか?--としてきたことだ。
私のような気弱な人間には到底まねのできない生きざまだ。

その彼が、2月1日、突然、ブログのテンプレートを乙女チックというか綺麗なバラで飾られたものに変えた。

はは~ん、、、とうとう世川君も、彼女とのラブラブ生活を永遠の誓いのいきに高めたのかな(まぁ、年貢の納め時かな、、、)などとニタニタしながら読み進めると、、、まぁそうにも違いないのだろうけれど、、、彼の体に異変!僕は、びくびくしながら読む羽目になってしまった。

ヘビースモーカーであることは知っていたが、一日に80本とは!
作家だから仕方ない面もあるけれど、ちょっと僕の想像を絶する喫煙本数だ。

とくに降圧剤を常用するほどの高血圧だったようで、きっと動脈硬化指数も高かったんだろう。

僕のこのブログシリーズで念頭に(暗黙の前提として)おいていたのは喫煙と肺がんリスクの因果関係であって、心臓血管系の疾患はしばらく脇に置いておくつもりでいた。

ニコチンが血管を収縮させるのは感覚的に実感できる。
なので、すくなくとも心臓血管系が弱っている場合に喫煙を続けていくと、ぽっくり逝ってしまうだろうな、、、ということは十分に予想される。喫煙リスクによる心疾患関連の死亡があるとしたら、その多くは心疾患に罹っている人たちがそのまま喫煙した場合なんじゃないだろうか、と僕は推論してきた。

ただ、心疾患のもともとの発病にたばこが関係しているかどうかには疑問の余地が残されていると思う。
いずれにしろ、僕自身も必要なケースでは、最近一時的に(最長約2か月)断煙(禁煙)した経験がある。

さて、世川君の話に戻る。
「野垂れ死にをも許される自由」を生きる世川君でも、瀕死の状態で実感してしまった彼女の愛情に包まれて、へなへなになってしまったんだろうか。野垂れ死にはもうできないかもしれない。でも、その代償も世川君の一つの幸せには違いない。血管系の養生を果たすまで、断煙(禁煙)してがんばれ!

節煙でもいいと思うけれど、僕は医者じゃないから、何とも言いません

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14:05  |  喫煙  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/01(Wed)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(2)

スモーカーは国民医療費をひきあげる国賊だ、という禁煙キャンペーンが癪に障るので、ちょっと調べてみた。
Googleで最初に引っかかってきた政府統計は平成11年度版だった。
とりあえず、この統計を使ってプロットしたのが↓の図だ。
国民医療費 年次推移

1977年度の国民医療費総額を基準値100(総額約8兆円、そのうち公費は三分の一負担;この負担比率はほぼ同じ)としてプロットした。『45歳以上』と『65歳以上』の差分は45~64歳の人々に充てられた医療費である。なお、タバコ税(ウィキ)による1999年度の国家収入は約一兆円)。

国民医療費の増加率の大半が『45歳以上』のもので説明でき、更にそのほとんどが『65歳以上』の部分で説明できる。
つまり、国民医療費の増加は人口動態の高齢化によって説明できるということだ。

したがって、仮に喫煙が寿命を大きく縮める効果をもつなら、国民医療費の増加を嘆くひとたちにとってはスモーカーこそ礼賛すべき衆愚なのだ、ということにはならないか、な?

ま、どちらでもいいのだけれど。

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18:56  |  喫煙  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2012.02/01(Wed)

禁煙キャンペーンの謎 日本パラドックス(1)

私は「阿修羅」という掲示板を愛読している。
政府・マスコミの流す情報については常に慎重な姿勢をとる方々の論調が主流である。

その阿修羅で、禁煙キャンペーンというかなんというか、喫煙者を罵倒し、国賊扱いするような発言が目立っていて不愉快であった。このスレッド自体は朝日新聞の報道「たばこで死亡、年12万9千人 07年分、東大など分析」(2012年1月28日1時50分)を発端にしている。この報道に早速飛びついた一人に池田信夫という人がいて、そのブログでは低線量被曝無害キャンペーンを張っていた。

阿修羅のこのスレッドで、私が共感できる投稿は一割未満(つまり、極めて少数派)に過ぎなかった。その中で、この喫煙問題で日頃私が感じてきた心情をとてもよく表現してくれるもの、投稿ナンバー84、があった↓。

タバコを吸わない人達が 増えてから 世の中 やさしさとか人情とかも
薄くなっつたきがします 寅さんや池中玄太80キロの時代が懐かしい タバコ
は文化です芸術や音楽にも縁が深いです、、、 タバコが高級品化してゆくのは致し方無いと 想いますが 原風景の一つが消えて逝くのは寂しいな、、、

この心情に付け加えることは何もない。でも蛇足する。

一つは排他主義(なわばり根性)の蔓延だ。喫煙者が嫌煙グループの推奨する喫煙マナーを守っている限り、たばこを吸う行為は純粋に個人の趣味に帰属する(低線量被曝を喫煙と比較する欺瞞)。排他主義は政治的には排外的民族主義や民族差別主義とも親和性が高いだろう。

地球上の99%以上のひとびとは権力者に苛められる同じ民衆だ。仲良くしようよ。

排他主義、排外的民族主義に民衆が染まってくれればくれるほど権力者にとっては都合がよい。禁煙キャンペーンに隠された政治的側面の一つかも、と私は訝っている。何故、排他主義が(排ガス大気汚染と歩調を合わせるかのように)蔓延るようになってしまったのか、別の機会に考えたい。

もう一つ、これはどうしても我慢ならないことだが、喫煙者、スモーカーが我が国の医療費の高騰に寄与する、というキャンペーンだ。これはスモーカーを国賊扱いにしている。

喫煙が肺がんリスクを上げるとして、どうして国家の医療負担を上げることにつながるのだ。スモーカーは高額のたばこ税を払っている。そして、言われる通り、損失寿命(損失余命、損失期待余命)が数年として、その分の年金を受け取らないよう協力、貢献しているではないか。肺がんにかかる率があがれば、医療、薬品メーカーたちも儲からない?こうしたことの算数を厚労省はしっかり計算しているのか?

で、厚労省とその取り巻きの人たちは、スモーカーに対して何を望んでいるんだい?
民衆の健康を大切に思って、親切にも禁煙を勧めてくれているのか?国賊呼ばわりして医療費を下げたいのか?でも、この二つは矛盾した行為だよね。

さて、では本当に喫煙が日本人(アメリカ人でなく)の死亡率を上げているのか?
下の図は1980年に出版されたモノグラフ
Seven countries: a multivariate analysis of death and coronary heart diseaseから拝借したものだ。 7 counties Japan

(喫煙リスクに関する)いわゆる日本人パラドックスを示す古典的な(伝統的で基本的な)データだと思う。
その後、1995年に同じコホート集団(九州の二村)を用いて異なる結果を導いた論文が発表されたが、また別の機会に譲る。

喫煙に関する疫学研究には重大な欠陥がある。喫煙因子と未知の交絡因子(Xとする)が強い関係にあるとしよう。このとき、発癌死のリスクが本当はXに起因するものであるとしても、疫学上は、リスクは喫煙にあるという結論が導かれるだろう。さて、Xは未知である。未知のXの存在を完全に否定することができようか?

放射能の場合、少なくとも高線量被曝、被爆で、因果関係が明らかになっている
低線量被曝における疫学については別の機会に譲る

著名な英国の心理学者(評価は二分されているが)アイゼンク(H.J.Eysenck)に、
「たばこ・ストレス・性格のどれが健康を害するか」(星和書店、1993(原書1991))という魅惑的な著書がある。
印象に残った一つのメッセージは↓

ストレスを受けやすい性格の人は癌にかかりやすい
よって、禁煙キャンペーンはそうした性格のスモーカーの発がん率を高める

病は気から、とよく言うが、癌にもぴったりの言葉かもしれないね
告白しちゃおう。
私はスモーカー
しかも、どうも癌にかかりやすいパーソナリティをもっている(攻撃性が低く、自分を責めやすい)。


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