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2012.03/06(Tue)

低線量被曝を喫煙と比較する欺瞞

低線量被曝(累積線量100mSV未満)を喫煙リスクと比較する人たちがいる。
喫煙リスクに比べれば低線量被曝はたいしたことないよ、ということらしい。
リスクの大きさとしてはその通りなのかもしれないが、この比較は胡散臭い。

喫煙はスモーカーの自由意志としての嗜好、つまり個人の自由の問題であり
スモーカーを幸せにする。
放射能汚染は国家・東電・歴代自民党、もろもろの利権屋たちがばらまいた公害であり犯罪で大多数の国民を不幸にした。

確かに両者はがん死亡リスク因子という側面(一面)では比較できるだろう。
しかし、他の面では上に述べたことに代表されるように、対極的な側面をもつ。
その対極性を無視して並べるから胡散臭いのだ。

ものごとをその一面だけ取り出して事大的に喧伝すれば、その他の面が隠ぺいされ
異質なことがらがあたかも同等であるかのように錯覚させらてしまう
こうした欺瞞は、権力の常套手段の一つなのだろう。

公害であるのだから、関係者は早く元の状態に戻す責任がある。
被害の危険度の違いはあれ、被害者は(責任者以外の)国民全体だ。

被曝者は被曝そのものが及ぼす生理的・生活的負荷に加え、
(国家が国民に対して保証する義務を有する)安全と安心を個人で天秤にかけるという
余分のストレスを負うことになった。
これについては、損失寿命(損失期待余命)なる概念が今のところ最も直観的かもしれない。

なお、上述のようなリスク比較は、それを学界内部で行うだけであるなら、何も社会的な問題は発生しないでしょう。
十分な補足説明をすることなく、その比較評価だけを一般公衆に向けて発言するなら、それは隠蔽作用をもつ可能性が高い、と考えるわけです。

追記(2012・3・6):「六号通り診療所所長のブログ」の2011・4・13の記事「タバコと放射能は比較出来るのか?」に、別視点ではありますが共感できる解説がありました。頼もしいお医者さんですね。

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テーマ : 放射能汚染 - ジャンル : 政治・経済

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