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2012.03/08(Thu)

ニセ科学批判と「錦の御旗としての科学」

この記事は三日前に投稿したものを大幅に加筆したものです。

血液型とパーソナリティについてこのブログで取り上げた理由について述べておきたい。

一つは、このブログを立ち上げたそもそもの理由とも重なる。

ニセ科学批判の人たちは、徒党を組んでいるような印象を受ける。まぁ、別にそれはそれでいいのだが。

だが、低線量被曝は怖くないとか、低線量被曝による健康影響はないと考えるのが科学的である、、、といった具合に、科学を錦の御旗として低線量被曝を怖がる人たちを馬鹿にしているように見えるし、結果として、原発事故の元凶(東電、霞が関、歴代政府、利権屋、等々)を免罪する形にもなっているとの印象を受けてしまうのである。低線量被曝のリスクは喫煙によるリスクよりもずっと小さいとかね(低線量被曝を喫煙と比較する欺瞞を参照のこと)。

低線量被曝による健康影響には統計的に有意な差が出ていない

(以下、大幅に加筆改定(趣旨は同じです)2012/03/08)

鬼の首をとったかのように得意満面でこう宣うのが多くのニセ科学批判者のようだ。

彼らの基本は、科学を錦の御旗のように振りかざすことだ。それで、きっと、彼らの言説もさぞかし科学的なんだろう、と思っても不思議ではない。

しかし、彼らは本当はちっとも科学的ではない。何故そういえるのか?
ニセ科学批判者は科学や自然に対して謙虚ではない
からだ。

言い換えると、
ニセ科学批判者にはphilosophy(知への愛)がない

哲学史に造詣がない、と言っているわけではない。哲学の根本精神に欠ける、ということだ。
博学ではあるかもしれないけれど、傲慢にみえる、ということだ。日本古来の言い方でいうと、論語読みの論語知らず、といったところね。
断定はしないけれど、彼らのネット上における発言をおっていくと上記の理由により、私にはそういう印象しか残らない、ということだ。もちろん、すべてのニセ科学批判者について言及しているわけではなく、そのように見えるものが多そうだ、ということね。

さて、「低線量被曝による健康影響には統計的に有意な差が出ていない」という現実に戻ろう。

ニセ科学批判者の多くの人は、これをもって、
低線量被曝には健康影響がない、というのが科学の結論だ
と宣う傾向があるようなのだ。

謙虚じゃないなぁ、と思う理由がここにある。
何故なら、統計に使われたデータそのものについての反省が彼らには全くないようであるからだ。

まず、低線量被曝の健康影響に関する事例そのものが充実している、とは言えないだろう?データ量は著しく少ない、と私は思うのだ。

第二に、健康影響としては白血病や癌を中心に統計がとられているが、統計にとられていない健康影響について、彼らは全く無視している;被曝による「非科学的で」「妄想に基づく」恐怖によるストレスの方が、放射線による影響よりも健康には悪い、と宣っているようだが、、、それこそ、このストレスそのものも健康影響であるのに、ね。

被曝しているという恐怖➜ストレスによる生物学的作用
被曝=放射線による生物学的(物理的)作用 (既存の統計データ+統計にかけられてこなかった作用
↑は、個人に対しては混然一体となって作用する。

第三に、統計上に有意な差がないということは「差があるとはいえない」ということであって「差がない」と結論できているわけではない。この点は間違えやすいので十分に気を付けたいところだ。

「差がない」という帰無仮説を統計的に否定できた場合、「有意に差がある」と結論するが、そうでない場合、つまり
この帰無仮説を統計的に否定できなかった場合は、文字通り、この仮説を否定できなかったわけである。

しかし、彼らは、低線量被曝には健康影響がない、これが科学からの結論だ、と科学という権威を振りかざして高らかに宣言するのだ。

差があるとは言えないし、差がないとも言えない。それが、統計的手法の限界だ。
したがって、現状での正しい結論は、この低線量被曝の問題については科学的な結論はまだ得られていない、というものだろう。
統計学的に差がないと証明するための手法については在野の生態学者、大垣俊一氏の文献「Type II error と Power analysis」(PDFファイル)に詳しい。

大垣氏が中心になって運営されているアルゴノータ・関西海洋生物談話会機関誌Argonautaを発行しており、上記記事はその11号です。この他にも、たくさん興味深い記事があります。

結局、科学を錦の御旗のように振りかざす多くのニセ科学批判者は非科学的である、と結論しても差し支えないのではないだろうか。彼らの本当の目的は何か?憶測するしかないけれども、彼らの意図がどうあれ、結果的には原発関連の権力者利権集団を免罪しているようにしか、私には見えない。

低線量被曝による健康影響の科学は未決着だ。つまり、現状では顕在化していない悪影響が今後、科学的に証明される可能性が残っている。被曝者に健康影響が出ても、科学的には証明できない場合だってその可能性を捨てきれない。こういうことが現実であることを勘案すれば、

多くのニセ科学批判者が行っているキャンペーンは極めて非人道的なのだ

さて、今回の趣旨からは少し脱線してしまったようだ。本題に戻ろう。

血液型とパーソナリティーについても、ニセ科学批判者はほぼ一様に、関係がないというのが科学的結論だ、と宣っておられるようだ。彼らのこの結論、あるいはそう結論する思考態度が私は好かないし、科学的でもないことは本日の前三つの話で論じたところだ。

能見式血液型人間学を批判するためには、その優生思想を叩くことが一番肝心な点だ。そこを前面に出して批判しない限り、やはり、本当の悪を免罪する役割をもってしまうのだ。しかし、ニセ科学批判者が能見式血液型人間学の優生思想を前面に出して批判してきたようには私には見えない。重箱の隅を突いている感じね。能見式血液型人間学に対する批判の要点については「血液型とパーソナリティ(1)」でまとめた通り。

以上、私がなぜ、血液型とパーソナリティの関係について論じたのかの理由になっているだろうか。
科学的に未決着のテーマを、科学的に間違っていると即座に否定する態度は科学的ではないし、そうすることによって科学の発展を自ら阻まなくてもいいのではないだろうか、という点を指摘したかったわけである。事実、血液型とパーソナリティの関係は科学的にとても面白いテーマになりつつあるしね:これは、その関係が最終的に否定されることになっても言えることだ;科学的仮説の意義は、その仮説が最終的に証明されるかどうかというだけのものではなく、どれだけ多くの研究を誘引するかという点にもある(大きな仮説ほど後者の価値の比重が高まる)。
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テーマ : 科学・医療・心理 - ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : ニセ科学批判 血液型 パーソナリティ 低線量被曝 喫煙

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