09-<< 2017-10- >>11-

12345678910111213141516171819202122232425262728293031
--.--/--(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑
2012.06/05(Tue)

公正世界信念って実在するのか?

ちょっと「衝撃」的なツイートを目にしたので感想を述べておく。今、大学4年生
のようですが、
「努力すれば報われる」に代表される、世界は正しく動いているはずだという考え方を公正世界信念といい、この信念が強い人ほど、少数者や弱者への否定的な態度を持ちやすい。という話を知ったときは、社会心理学を学ぶ中で一、二を争う衝撃だった
というツイートです。

僕が「衝撃」を受けたのは、「世界は正しく動いているはずだ」という考えをもつ人間がいる、ということが「事実」として語られている、という点です。

そもそも、この場合の「正しい」という用語の意味は一義的に明らかなのだろうか?公正世界信念の説明に使われていることから推すと、「公正」という意味なのかな?

話を進めるために、一応、そのように仮定してみるが、、、世界が公正に動いている、なんてことを思っている人がいるというのは、僕には想像すらできない。世界(まぁ、世の中、ね)には様々な対立が充ち満ちているではないか。

これに対して、「努力すれば報われる」という想念は、ずっと広範な人々が抱いているであろうと思う。そもそもが、このように想念するということは、自分の現状にどのような形であれ不満がある、ということだろう。努力してそれを解消しよう、というまっとうで殊勝な心がけだとも思う。この殊勝な気持ちが公正世界信念なるもの(が、あるとしてだが)の代表とは到底考えられない。

ただし、「努力すれば報われる」と考える人が「少数者や弱者への否定的な態度を持ちやすい」ということは一考に値するかもしれない。ただし、前者のうち、努力しない奴はけしからんとも思う人々、より一般的に表現すると自己には甘く他者には厳しい人々に限ってなら、「少数者や弱者への否定的な態度を持ちやすい」ということが十分にありうることなのかな、と思う。

いずれにせよ、ツイートされた形での命題を社会心理学なるものが提供してきたとすれば、、、社会心理学なるものの学問的価値を疑わせるに十分な命題ではあった。

なお、努力しても報われないこともあるかとは思いますが、努力は決して無駄にはならない、と思います。私自身は怠け者なので、、、もっと努力すべきだったなぁ、というのが取り返しのつかない反省です。

追記(06/05/2012): 「公正世界信念」についての上記ツイートにおける定義が曖昧であったため、私はこの信念について誤解したようです。『公正世界信念』のTweetについて、社会心理学者からの疑問には、次のような記述があります。

公正世界信念というものにもいくつか種類がある。Belief in immanent Justice(以下BIJ)は、「悪いことをした人には自動的に天罰が下る」「良いことをした人は自動的に報われる」という信念。

一方、Belief in Ultimate Justice(以下BUJ)は「不正が生じても将来それは清算される」という旨の信念。日常的な感じでいえば「長い目で見ればいいことわるいこも同じくらい起こってバランスがとれる」というようなニュアンスになるでしょうか。

ざっくりと言えば、BIJは被害者・不利な立場にいる人を責める傾向、BUJの高さはそういう人たちへの評価の高さや、向社会的コミットメントと関連することが示されています(相関係数の絶対値低いのが少しきになるところですが)。

本記事で「衝撃」的と感じたツイートに比べると、ずっと穏当な結論がなされているようですね。
以上、とり急ぎ、訂正しておきます。

いずれにせよ、この「信念」、BIJにしろBUJにせよ、運命論的でステレオタイプな信念、という感じですね。単純な信念と言うか。。。社会心理学では、人々のこの「信念」の度合い(強弱)を評価して、少数者や弱者への態度がどういう傾向を示すか、というような調査を行ったりして研究するのだろうか。

私がこの方面の研究者だったら、、、「少数者や弱者への態度」の否定的、肯定的、中立的の少なくとも三つに類別し、その典型的な人々と「じっくり」と面談する機会を得て、、、、各々の共通項を抽出するという作業から始めるけどね。というか、普通、日常的な生活経験からだいたいのことは推察できると思うのだけれど。

とりいそぎ、ここまで。

[More・・・]

追記2(06/06/2012):少数者や弱者への態度、に関して自分自身を振り返ってみると、私は常に少数者であった。天邪鬼というのかな、そういう気性が思春期の頃からあったように思う。どのようにしてそういう気性を持つようになったのか、、、というようなことを明らかにすると、「少数者や弱者への態度」に関する心理学問題を解決する一つのヒントが得られるのではないか。

で、思春期以前を振り返ってみると、、、すでに小学生低学年の頃から少数者であったように思う。つまり、勉強はそこそこよくでき、貧乏とはいえない家庭のこどもであったが、どういうわけか、勉強は全然できず、とても貧乏な家庭のこどもと一番仲が良かったのだ。勉強できずに貧乏な子供というのは社会的には弱者とみなされているわけだが、その弱者と共鳴、共感する何かが「弱者」ではなかった自分にあったことになる。

では、それはどうしてなのか、というととても難しい問題で、それこそ心理学研究に期待したいところだ。
パーソナリティの遺伝率(パーソナリティの個人差のうち、遺伝的な成分の割合)は約40%と考えられている。大雑把にいえば、氏も育ちも半々で寄与する、といったところか。

今の問題に関係していそうなのは、パーソナリティ因子のうち「開放性」openessといったところだろう。

「育ち」の面で、いろいろな事象が関係して「開放性」にも影響を与えると思うが、たとえば、「あんな子と遊んではいけません」としつける親は結構多いのではないか、という気がする。一事が万事であるから、こういう親の態度はこどもの「開放性」をつみ取ると同時に、「偏見」のようなものも育てる力があるのではないか。私の場合、このような干渉を受けた記憶は全くない。

ちょっと話の筋が思わぬ方向へずれてしまったが、「少数者や弱者への態度」を大きく左右するのは「開放性」の度合いであるような気がしてきた。

お腹がすいてきたので、取り急ぎ、ここまで。
関連記事

tag : 公正世界信念 努力すれば報われる 努力しない奴はけしからん 自己に甘く他者に厳しく

13:54  |  未分類  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

コメント:を投稿する

URL
コメント:
パスワード  編集・削除するのに必要
非公開  管理者だけにコメント:を表示  (現在非公開コメント:投稿不可)
 

▲PageTop

この記事のトラックバック URL

→http://euglena00.blog.fc2.com/tb.php/54-b9eb0077
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック:

-

管理人の承認後に表示されます
2012/11/20(火) 03:53:20 | 

▲PageTop

 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。